なお解けぬ公的資金の呪縛、大株主が翻弄

新生銀行BANK X 終われない「金融危機」①

新生銀行が揺れている。SBIホールディングスがTOB(株式公開買い付け)を通じて最大48%の同行株取得を目指しているためだ。同行がTOBに反対を表明すれば、銀行界初の敵対的TOBに発展する。前身の旧日本長期信用銀行は、近く第100代首相に就任予定の岸田文雄氏もかつて在籍した。約20年前に注入された公的資金返済の道筋を描けず、大株主に翻弄される新生銀の姿は、「平成金融危機」が終わっていないことを映し出す。

(三島大地)

背負った十字架

1998年10月23日、新生銀の前身の日本長期信用銀行が国に特別公的管理(一時国有化)を申請したのは、新たな破綻処理制度を整えた金融再生法が施行されたまさにその日だった。バブル期にノンバンクや不動産向け融資を膨らませた末の破綻で、国は預金保護のために巨額の税金を投入した。日銀から安斎隆氏(セブン銀行前会長)が頭取として長銀に入り、国は受け皿探しを本格化させた。

この間、国は金融機能安定化法と早期健全化法に基づき、98年と2000年に優先株を取得する対価として長銀に3700億円の公的資金を資本注入した。00年5月の谷垣禎一金融再生委員長(当時)の国会答弁によると、持ち合い株の売却益などを加味した政府の回収目標額は5000億円。うち一部は返済したが、今なお約3500億円が未回収のままだ。

国は、目先の公的資金注入額を低く抑えられる瑕疵(かし)担保条項をつけた引き受けを提案した米リップルウッドを長銀の受け皿に選んだ。不良債権になった場合は国が債権を引き取る約束で、同条項と預金保護のために投じた税金は約8兆円にのぼった。その後、リップルウッドは長銀が新生銀として再上場した際に同行株を市場で売却し莫大な利益をあげた。

新生銀はこの十字架を背負い続けている。ただし、新生銀が公的資金のくびきから逃れられないのは、資本注入されていた優先株が07年8月と08年3月に普通株に転換されたことが大きい。伏線が張られたのは05年だ。

打算と誤算

金融庁と預金保険機構は、保有する優先株を普通株に転換して市場で売却する新しいルールを導入した。堅調な株価を背景に、新生銀株は当時、含み益を抱えていた。普通株に転換して市場で売れば、注入した公的資金以上の金額を回収できるとの打算からだった。

もくろみが狂ったのは08年だ。前年の「パリバ・ショック」以降、サブプライムローン問題がくすぶり続け、新生銀株は徐々に水準を切り下げていく。政府が保有する普通株の価値は下がり続け、身動きがとれなくなった。

政府に回収のタイミングがなかったわけではない。04年2月。新生銀行初代社長の八城政基氏は東京証券取引所で、上場を知らせる鐘を突いていた。長銀の破綻以来、6年ぶりに再上場を果たした。公開価格5250円(株式併合考慮後)に対して初値は8720円。時価総額は1兆7000億円に達した。

上場を知らせる鐘を鳴らす八城政基新生銀行社長(2004年2月19日午前、東証)

「収益力や経営基盤の強化に取り組んでもらいたい」。金融庁の高木祥吉長官(当時)はこう語り、回収を見送った。当時を知る関係者は「JCフラワーズが株主として残るなか、金融庁も株主として動向を監視したいという意向が働いた」と明かす。そのうえで「あのときJCフラワーズもリップルウッドなどと一緒に株式を売却していれば違う未来が開けたのに」と悔やむ。

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